野生アザラシの魅力について考えてみた

2006.11.20(Mon)

本日、野生アザラシを見るときのルールや見に行く前の準備について触れたコーナーをサイトにアップしました。

それに関連して野生アザラシを見に行く魅力とはなんぞやということについて考えてみました。見に行くものが同じアザラシとはいえ、水族館等の飼育アザラシを見に行く面白さとは全く違うと私は思います。

温泉(巡り)という普通の感覚の方にもわかるような趣味を例に考えてみましょう。温泉(=アザラシ)とすると、水族館・動物園というのは温泉旅館・ホテルのようなものだと思います。
温泉旅館は、宿泊料(=入場料)を払い、宿それぞれの料理・もてなしの工夫(=各水族館の展示やイベントの工夫)を楽しみ、快適な大浴場で温泉に入る(=至近距離でアザラシを満足するまで居座る)ことができます。浴場の清掃時間や深夜は入っちゃダメなど、開館・閉館時間がある点も水族館と共通です。何より天候に関係なく確実に温泉に入る(アザラシに会う)ことができます。

一方野生のアザラシを見に行くというのは山の中にひっそり湧いている温泉に入り行くようなものでしょう。
 温泉までの道すらよくわかっていなく(=生息地の位置・経路)、地図や本で自分でいろいろな情報を収集し検証してから(地図はもちろんや天気情報・潮汐・波の高さ等の情報を検証し)温泉まで行かなければならない。それでも温泉に入られるかわからない(=アザラシがいるかわからない)。温泉があったとしてもドンと温泉が湧いているだけ(=ドンとアザラシが転がっているだけ)で、湯船や脱衣所(=観察できる用の施設や案内)があるわけでもありません。

じゃ、何でそんな物を追いかけるかというと、結局秘湯探しの方も、野生とっかりハンターも何物にも代えがたいモノに魅力を感じているからではないかと思います。

その魅力というのは、温泉の場合は広い湯船を掘って一人だけの温泉に飛び込む瞬間かもしれないですし、湯船の底が土である温泉に入る感触かもしれないしですし、大自然の中で一人ぼっち温泉に入る寂寥というような感覚かもしれません。

野生アザラシの魅力は(私の場合ですが)、双眼鏡の視界にアザラシが飛び込んできたときの「いたーーーーーーーーーーー!!!!」というあの感覚、周りに誰もいない断崖や海岸といった大自然の中、体育座りをして「うふふ…」と一人で微笑みながらアザラシを見るときのあの寂寥感、泳いだり寝転がったり欠伸をしたり後ろ足を振ってみたりよだれをたらしてみたり、気ままに生きている(ように見える)野生アザラシたちの群れ、それと…このくらいにしておきますか。その辺に毒されています。動物園や施設では味わえない感覚です。

趣味というのは他人には理解できなくてその道に生きるものにとっては麻薬並みの魅力があるわけです。同好の士はお分かりいただけると思いますが…。

同じ温泉が趣味でも、その楽しみ方がいろいろあるように、アザラシ道にもいろいろあるように思います。もちろんどの楽しみ方が上でどれが下という事もないでしょう。私自身、アザラシに関しても、飼育も野生もどちらも楽しんでいます。とっかりセンターの面白さと焼尻島の面白さは全く別物として。これからも己のアザラシ道を精進するのみです。以後見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶万端引き立って、よろしくお頼み申します。
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・その他日々思いつくこと

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